80代の父は認知症になってきました。
認知症は人それぞれですが、軽いほうだと思います。
父の場合で顕著なのは今聞いた会話の内容の一部を忘れていることです。
何回も同じ事を聞かれるので、
同じことを言わなければならないというのが多いです。
例えば
「今日はなんで来た?」
「これこれの用事で来たよ」
ちょっと会話していたら、また上記の会話。
これの繰り返し。
これぐらいならよかったのですが、
今回、足に力が入らなくなり、こけたり動けなくなったりで
検査をかねて入院をしたのですが、認知症のせいか
救急車に乗って病院へ行ったのも、こけたのも忘れている。
なので、自分は元気だと思っています。
元気なのに、なんで入院する必要があるのかと。
父の気持になって考えてみると、そうですよね。
病気のことを忘れているので、病気という意識がない。
それがいいのか悪いのかはおいといて
認知症というのは、ある意味、「今」を生きているんですね。
忘れるということは、神様のプレゼントかもしれないですね。
私は、親がそんな状態になっていくのを見るのが悲しいのと、
老いや死に様を考えさせられました。
す、すみません(^^ゞ
ここんとこ、父のことで認知症というのを考えさせられました。
めずらしく、考えにふけっている飼い主にポチっとね。
父の入院、自己退院、また入院と今週始めからバタバタしております。
「今を生きる」本当にそうですね。
そして、神様のプレゼント、、、さすがAncellaさん。
だんだん、シンプルになって行くのだと思います。
そして、感情だけは最後まで残りますね。
色々なものをこそげ落として、シンプルになってうれしい!悲しい!だけを残していずれは神様の元へ行くのだと思います。
母と接していて本当に勉強させてもらっている感じです。
事の成り行き、原因、人の思惑、人の思惑を感じ取る、たとえ話、、、が全く出来なくなりました。
イエスかノーか、右か左か、今何をするか、したいか、、、etc
母が答えやすいような質問をすること、、、、を学びました。
母が最後に楽しかった、うれしかった、、との感情を感じられることで
終わるような、会話を心掛けなければならない事を、、、学びました。
そして、いつでもそばにいる事(母を案じている人がいる事)を知って感じていてもらえるよう関わり、いつも「安心」と「安全」を感じてもらい生活する。
それでも、、、時々、、子を案じる母親らしい言葉を聞いたりすると
嬉しかったり、、、悲しかったり、、、です。
沢山、会話をして行こうと思います。
ヒーリングハート・グリーンフィールドさま
ほんとにそうですね。
シンプルになっていくんですね。
子供に返るってほんとです。
ヒーリングハート・グリーンフィールドさんまでの
経験はまだないですが、いただいた言葉を
忘れずに、父と接していこうと思います。
素敵な言葉ありがとうございました。