自分の中にはいろんな自分があると考えます。
これはサイコシンセシスの考え方です。
例えば、
人に見せている自分。
とても、いい人です。頼まれたら、嫌な顔せずこなします。
でも、ほんとは、
断われない自分がいます。
断わると相手が気を悪くするのではないか、とか、断わるのがこわい、とか。
で、
無理をしているので、とてもしんどい自分がいます。
また、
嫌とはっきり言えなかったと、それを批判する自分もいます。
でも、これら全て自分です。
その、批判する自分、断われない自分、しんどい自分、いい人の自分など、それぞれをひとつのパートと考えます。
そのパートの自分をサブパーソナリティ(副人格)といいます。
また、ほんとの自分もいます。
ほんとの自分はサブパーソナリティを統括している自分っていう感じでしょうか。
上の視点で考えられる自分です。
私にはこういうサブパーソナリティがあるなと思える自分です。
これはセルフといいます。
ひとつのサブパーソナリティが大きな顔をして自分を占めていることがあります。
それが今の自分を生きにくくしていることがあります。
まず、自分のその占めているサブパーソナリティがどういうものか考えます。
それをみつけたら、そのパートと向き合います。
自分の何かを守るためにそのサブパーソナリティがあるかもしれないですし、また、必要ないかもしれない。
この部分は自分のなんのためにあるのか?
もし、これがなくなると自分はどうなるか?
これが必要か?
等、考えて、気づく。
そのパートにどっぷり入るのではなく、自分にはこういう部分があるなと気づく。
あー、私にはこういうところがあるなと気づいては、流す。
上記の例のだと、
いい人であるのがしんどいとします。
私には断われない自分がいるな、なんで、断われないんだろ?
断わって相手に心象を悪くなるといやだ。
じゃ、この気持ちは、どこからきてる?
拒否されるとイヤだという気持ちがある。
拒否されて傷ついたことがある。
と、
これは架空のことで、いい人のサブパーソナリティから、自分の気持ちに気づいていくという一例ですが。
このように、セルフがパートを判断することなく、気づいていきます。
自分のできない部分、いやな部分を拒否することなく、ただこういうパートが自分にはあるんだとただ気づいていく。
気づいて、そのパートの言い分を聞いてあげることも必要な時もあるかもしれません。
ねぎらって、手放すことが必要になるかもしれません。
それらすべてがセルフの役目です。
このようにセルフは、パートに気づいてまとめていきます。
それらをして、何にも左右されない、ブレないセルフになります。
セルフを強化して、自分らしく、歩んでいくことができます。
(ご自身でできない人はAncellaまでどうぞ。
へへへっ、営業してしまいました)(^_^ゞ
うっそー!
絶対、ちゃうし
虫を食べようとしてたの、上の写真でバレてます。口の下についているの小さな虫です。
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